ブックマン第ゼロ回 「路地裏の民主主義」

先日京都駅の書店でふと目にとまった一冊。それが「路地裏の民主主義」(角川新書)です。筆者は、平川克美さん。私と同い年の方。私も、自称「京都下町のぼんぼん」なので、思わず手に取ってみる。同書の「はじめ」の中で同氏は、(グローバリゼーションの影響で)「経済も、環境も、個人がコントロール可能なスケール(ヒューマン・スケール)を超えて肥大化しており、わたしたちの予想を超えたスピードで変化している。しかし、だからと言って、不公正や横暴がまかり通ることや、戦争への危険を手をこまねいてみているわけにはいかない」と。同感である。そして同氏は、「私たちには、生活の拠点がある。息の長い、実感の伴った生活の場から、いまの状況を見つめ直すことができる」と。
 そうなんです。現在は、いつからか株価や為替レートのことが経済指標として重宝がられています。また株で、1月何億円稼いだという「凄い」話が紹介されたりします。しかし、私は少しもうらやましくありませんし、その人の生活はあまり日常的とは思えません。しかも、路地裏の庶民は、ほとんどの方が株など投資していません。また、儲かるということで一億の国民全員が、株投資をやり出したらどうなるのか。収拾がつかなくなるのではありませんか。それはカジノの誘致も同じような話です。
 先日、日銀は、物価上昇率2%の目標の削除を表明。これまでの金融政策の失敗を事実上認めました。アベノミクスによる「トリクルダウン」は起きなかった。かえって、非正規雇用の増大や実質賃金の低下による、国民生活の質の低下です。これは、生活の場からかけ離れた株価や為替の数字に一喜一憂しても、わからないことです。なぜエンゲル係数が上がったのか、生活の場から見つめ直すことが大切と筆者もおっしゃっています。その通りです。この視点がないと、後見人は、クライエントの生活を守る、地に着いた後見活動にならないと思います。
(文責:代表理事:五百木孝行)

5月 1, 2018