コロナであぶり出されてきたもの

今日から師走です。師走とは、師も走らざるを得ないほど忙しい月だと言われています。私も柄にもなく最近、「せんせい」と呼ばれていますが、年中走っています。「あんまり関係ないな」と思っ
ています。
しかし今年は、本当に「コロナ、コロナ」と叫ばれ、そのおかげで、これまで見えてこなかったものが浮かび上がってきたと思います。政府の政策のハチャメチャで貧弱な政策です。庶民の生活が見えていないのか見る必要がないのか、庶民に対する有効な政策があまりにもおざなりです。もう10か月位が経過しているのに、例えば対策の第一歩であるPCR検査体制の有効な構築がいまだにできていません。医療の原則は、「早期発見、早期治療」ではなかったのではないでしょうか。希望者全員に検査をすれば、医療崩壊すると反論する向きがあるようですが、本当ですか。長年、感染症対策を縮小してきたのは政府の政策であり、そのことが明らかになることを恐れているのではないですか。
例えば大阪維新の会が市長をしている大阪市は、保健所が激減しています。それは東京都も同じことです。国の感染症対策機関の人員も減らされています。これでは検査する体制も組めないし、陽性者を隔離治療する体制もつくれないです。そして、責任の所在が不明確なまま「医療崩壊の危機」が叫ばれ、国民一人一人の自己責任が求められています。これは政策のつけを国民に押し付けるものです。予備費の約7兆円があるわけです。その気があれば青息吐息の医療機関や地方自治体に財政支援を行うことはできます。
現在の政府の対応を見ていて、山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」の主人公の医師、新出去定が憤慨して「これまでお上は庶民のために何かしてくれたことがあったか」と青年医師、保本登に怒りをぶつけていた場面を思い出しました。当時と現在とあまり変わらない「お上」の姿勢に愕然としますし、今ほど政治の役割の大切さを求めていく時はないと思います。(文責:代表理事 五百木孝行)

12月 1, 2020