「ブックマン」第5回 明治の「通俗道徳」は、「自己責任論」の原型か       

『生きづらい明治社会~不安と競争の時代』 松沢 祐作著 岩波ジュニア新書

 明治時代いわれた「通俗道徳」とは、「人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないからだという考え方のことを、日本の歴史学会では「通俗道徳」と呼んでいます」(本文71P)。「通俗道徳」とは、「ある人が直面する問題は、すべて当人のせいにされます。ある人が貧乏であるとすれば、あの人ががんばって働かなかったからだ、ちゃんと倹約して貯蓄しておかなかったからだ、当人が悪い」(本文73P)となるわけです。

 しかし、本人がいくら頑張っても、病気やケガ、家族の不幸など自己責任とは言切れない理由で、貧困に陥る人も多くいたはずです。明治時代は、現在の日本国憲法第25条は存在しませんでした。あるのは、1874(明治7)年に制定された「恤救規則」しかありませんでした。お触れみたいなものです。この恤救規則は、身寄りのない障害者、70歳以上の高齢者、病気の者、13歳以下の児童で、働けない貧しく憐れな者に、一定の米代を支給する制度です。米代しか支給しなかったのは、明治政府に金がなかったというか他に使うことがあったからです。日清戦争や日露戦争に勝ったけれど、ますます富国強兵や地方の利益誘導のために使う必要があった。社会福祉に税金を使う考えはなかったといえます。民衆は、「通俗道徳」の名の下に自己努力を半強制され、貧困になっても救済されない生きづらい生活を必死に生きることになったと筆者は結論づけています。

 1905(明治39)年9月5日、日露講和条約に反対する民衆が「日比谷焼き打ち事件」を引き起こします。生活に追い詰められ下層民になった特に若者が、政府の弱腰を非難し条約反対を叫びました。このような自然発生的な民衆の騒擾は、1918(大正7)年の米騒動まで続きます。昨年、明治維新150年が喧伝され、明治時代が美化されるような論調がありましたが、その内実は、一部富裕層やエリート層を除き、大多数の民衆の生活苦と民衆同士の競争でした。現代も非正規雇用者が労働者の4割を占め、格差貧困は拡大しています。生活保護申請にも冷たい視線が注がれ、自己責任論が社会的ベールとなって社会を厚く覆っていると言わざるをえません。本書から、時代背景は違いますが、明治時代とそんなに変わっていない現代社会の実相を確認していただきたいです。しかし現代は、第25条が存在していることも教えてくれる一冊です。
           (文責:代表理事 五百木孝行)

5月 6, 2019