毎年変わる「敬老の日」に思う

 本日は敬老の日です。昨年は9月18日でした。昨年のブログでも話しましたが、毎年敬老の日が変わるのはどうだろうか。これで本当に高齢者を敬う気持ちが生まれてくるのか疑問を持っています。敬うとは、うわべだけのお祝いの言葉ではなく、高齢者が真に認められることです。スーパーや百貨店に行って、敬老の日にあやかった売り場を見て、「今日は敬老の日なんだ」と気づく程度では、何にもなりません。確かに地域では敬老行事は行われているでしょうし、私だけが知らないだけかもしれません。また高齢者大会などに参加されて、アクティブに自己主張をする高齢者の方もおられます。一方で、自宅で閉じこもり、老いと表裏一体で、貧苦、病苦、孤独・孤立している方も多くおられると想定できます。
 そうなら、冷静にデーターで考えてみると、現在は、人口の27%以上が高齢者の超高齢社会です。その半数が、単身か高齢夫婦です。政策的にきちっとした高齢者福祉や社会保障が必要です。現在、グループホームあるいは有料老人ホームに入居するには、月20万円程度はかかります。月20万以上の年金等の収入のある高齢者はどれだけいるのでしょうか。老齢基礎年金程度の方は、グループホームにも有料老人ホームにも入居できません。昔「養老院」といわれた養護老人ホームかあるいは従来型の特養に入所するしかありません。しかしこの施設数や定員があまりにも僅少です。これが現実です。政府や自治体の高齢者予算や政策はどうなっているのでしょうか。毎年変わる「敬老の日」に、人生最後の場面に立つ高齢者は、複雑な気持ちです。 (文責:代表理事 五百木孝行)

9月 17, 2018